トロフィー・ハンティングと地域社会
公開範囲:公開
| 種類:普通の日記
| 作成日:2018/02/09 15:34
2015年夏、アフリカから届いたあるニュースが世間を賑わせた。それは、ジンバブエで「セシル」という名前がつけられて観光客に人気だった1頭の雄ライオンが殺されたというものだった。歯科用 セメント
特徴的な黒いたてがみを持つ13歳のセシルを狩ったのは、アメリカからやってきた1人の歯科医師だった。彼は、約660万円のツアー代金を業者に支払い、プロのガイドの案内によって、弓矢と銃で狩猟した。そして、トロフィー(狩猟記念品)にするために、頭を切り落とし、皮を剥ぎ、残りを藪のなかに捨てた。led光照射器
これに対して、世界中で非難の声が高まり、彼が経営する歯科医院の前には、「Killer(殺し屋)」と書かれたプラカードをもった人びとが殺到した。
彼が大枚をはたいておこなったトロフィー・ハンティング(娯楽観光とトロフィーの獲得を目的とした狩猟)は、日本人にとって馴染みのないものであろう。このニュースを聞いて、「何が楽しいのか?」「食べないのに殺したのか?」などの疑問をもった人もいただろう。また、野生動物の保護が叫ばれるようになって久しい現代において、そのような狩猟がまかり通っていることに腹を立てた人もいるかもしれない。
私は、2004年からカメルーン共和国、2016年から南アフリカ共和国で、トロフィー・ハンティングについて調査をおこなってきた。それは、「トロフィー・ハンティングとはなにか」について純粋に興味をもったことに加え、「そのような娯楽観光が地域に住む人びととどのような関係を築いているのか」について明らかにしたいと考えたからである。
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