海賊イギリス、誕生!?植民地戦争から学ぶ、スパイス(香辛料)流通の歴史 (1/2)
大航海時代、冒険家たちが多くの犠牲をはらってまで、はるかかなたの海にスパイスを捜し求める以前は、スパイスは調味料としてよりも肉の貯蔵用として重宝されていました。
それが航路発見により、トマトやコーヒー、レモン、オレンジなどといった新しい食材が手に入るようになると、人々はさらに香り豊かな様々なスパイスを探し始めます。
特にインドのペッパー、インドネシアのクローブやナツメグなど、産地が限られているスパイスを手に収めようと、当時の列強王国は壮絶な争いを繰り広げます。
まず東南アジアの実権を握ったのはポルトガルで、次にスペインが進出し植民地支配を拡大していきます。
海洋進出後のスペインは、タバコと共にオールスパイスをヨーロッパにもたらし、黄金時代を築きました。
やがて17世紀になると、オランダが勢力を伸ばし、東南アジアからポルトガルを追い出し、ペッパー貿易独占を狙い、東インド会社を設立いたしました。
東洋貿易の政策をとったオランダは、日本とも盛んに取引を行っていました。
しかし、オランダとポルトガルという二大貿易国の中に割って入ったのが、後の航海国イギリスでした。
イギリスはジョン・カポットの北米大陸発見によりカナダを手には入れておりましたが、スパイスの産地を見つけることは出来ませんでした。
そこでイギリスが取った策は、なんとオランダ船やポルトガル船を狙った海賊行為でした。
スパイスを積んだ荷を奪うことで勢力を拡大させ、ついにはオランダを真似た東インド会社まで設立しました。
こうしてイギリスは、海賊行為でどんどん勢力を拡大させ、大々的な植民地政策を展開させました。
植民地戦争という、第二次世界大戦までも世界中を巻き込んで吹き荒れた嵐の発端も、実はスパイスだったわけです。
しかしその後、オランダの支配下に置かれた東南アジアのスパイス原産地では、先住民達がポルトガルやスペイン、フランス、イギリスなどと裏取引を始めました。
そのため、スパイスの苗木はヨーロッパ列強諸国の植民地で根付き、南米や西インド諸島、アラビア半島まで産地を広げていきました。
19世紀の中頃には、原産地よりも移植された土地での生産量が多くなり、現在では一般庶民も気軽にスパイスが使えるようになったというわけです。
サフランは、昔は皇帝の料理にしか使用出来なかったという高価なスパイスです。
もちろん、現在でも非常に高価なスパイスとして扱われています。
サフランの原産国はスペインで、クロッカスに似たような薄い紫色の花です。
めしべしか使用することが出来ないので、集めるのがとても大変なのです。
スペインのラ・マンチャ地方の特産なので、旅行に行った際にはぜひ買うことをお勧めします。
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