京都の伝承スポット巡り!相国寺・清涼寺・祇園際にまつわる不思議な伝説ツアー
京都には様々な伝説が伝わっています。
怖い怪談話やユニークなものまで、あげればきりが無いほどです。
今回はその中でも面白い伝説を紹介します。
茶道千家の基礎を固めた千宗旦(せんのそうたん)。
そんな千宗旦に化けて、相国寺(しょうこくじ)のお茶会で見事なお点前を披露した狐がいました。
宗旦狐が見事なお点前を披露した後で、本物の千宗旦が遅刻を詫びて登場する事が何度か有りまして、弟子たちは偽物の存在に気が付きました。
そこである日、宗旦狐が現れたのを見計らって、本物の宗旦が自宅にいるのを確認した上で、宗旦狐に問い詰めたところ、自分が偽物で有る事を認めました。
千宗旦に憧れて化けていたので、誰も咎める事は有りませんでした。
時が流れ、相国寺が財政難の時も、宗旦狐は雲水に化けて財政難を立て直すべく、力を尽くしました。
また、門前の豆腐屋さんが潰れかけていた時も、宗旦狐はアドバイスを送り、豆腐屋さんを救ったというエピソードもあります。
しかし、豆腐屋さんがお礼に与えたネズミの天麩羅を食べた所、神通力が失われ、もとの狐の姿に戻ってしまったのです。それを見た犬たちに吠えられ、逃げる途中に彼は井戸に落ち、残念ながら命を落としてしまいます。
そんな宗旦狐を可哀想に思った相国寺は、境内に宗旦稲荷を祀りました。
その名残は現代まで受け継がれ、今でも残っています。
平安時代の公卿だった小野篁(おののたかむら)。
小倉百人一首では参議篁という名前でも登場する、有名人です。
実はこの人、超が付くほど優秀で働き者なのでした。
昼は都で働き、夜になると六道珍皇寺の井戸からあの世に行き、閻魔大王様のもとで裁判の補佐をしていたということなのです。
そして、朝になると福生寺の井戸からこの世に戻って来て、都で働いたというまことしやかな噂が当時流れていました。
なんと、あの紫式部が源氏物語を書いた罪(愛欲を描いた咎)で裁判に掛けられているところを、閻魔大王に取りなしたという説も残っており、この伝説は小野篁の墓の横に紫式部のものも並んで置かれていることにも由来しています。
福生寺は今は有りませんが、清涼寺(嵯峨釈迦堂)にその井戸が残り、あの世への井戸は六道珍皇寺に残っています。
ある日のこと、八坂神社に祀られている素盞鳴(スサノオ)という神様が旅をしておりました。
旅の途中に日が暮れてしまったので、巨旦将来(こたんしょうらい)のお家に「泊めて」とお願いしたところ、断られました。
次に、巨旦将来さんのお兄さんである蘇民将来(そみんしょうらい)のお家に行きました。
蘇民将来さんは貧しい生活にも関わらず、泊めてくれた上に、食事をもてなしてくれたのです。
その真心を喜んだスサノオは「蘇民将来之子孫也」と記したお札を授けました。
おかげさまで蘇民将来の一家は疫病を逃れて無事に過ごし、一族は繁栄しました。
逆に巨旦将来の一族は没落したというお話です。
このお話が元で、「蘇民将来子孫也」と書かれている祇園祭の粽(ちまき)を玄関に吊るすと、一年間無病息災で過ごせると言われています。
さすが古き日本の都、京都ですね。
京都と関係の深い伝説は、まだまだ沢山残っています。
そして、宗旦稲荷や井戸、粽のように、その伝説にちなんだものが本当に有るというのが面白いですね。
伝説の内容が目の前にある、そんな臨場感溢れるスポット巡りをしてみませんか?
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田中英哉(たなかひでや)37歳
京都生まれ京都育ち。24歳まで京都で暮らしたが、3年間
名古屋で勤め、京都を離れて初めて京都の魅力に気付く。
Uターン後、京都観光に関する仕事で地域貢献をしようと
「ことぶら」を立上げ。「京都の魅力発信、感動を共有、感
謝される仕事で社会貢献」を理念としてビジネス展開中。
第7回、京都文化ベンチャーコンペティションにて、エフエム京都賞・京都銀行賞を受賞。
ことぶら公式サイト
http://www.lifecrew.jp/kotobura/
【資格】
国内旅行業務取扱管理者(国)
2級ファイナンシャルプランニング技能士(国)
3級知的財産管理技能士(国)
環境社会検定(eco検定)(公)
京都検定2級(民)
旅行地理検定3級(民)
メンタルケアカウンセラー(民)
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