伊勢・奈良 紀行 - Latte

伊勢・奈良 紀行

  • 旅行期間: 2014/04/03 ~ 2014/04/06
  • 作成日:2015/08/18 14:56
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1日目)福島から新幹線と近鉄を乗り継ぎ、伊勢・二見浦まで行く。二見浦宿泊。
2日目)二見浦にて、輿玉(オキタマ)神社と夫婦岩を観た後本来の伊勢神宮参拝をする。
   逆ではあったが『遷宮式年館』にて詳しい内容の確認をし、月夜見宮”も参詣。
  その後、近鉄で名古屋迄戻り、新幹線での京都経由で近鉄で奈良迄行き宿泊。
3日目)ゲストハウスに注文していた朝食の茶粥(薩摩芋の切身入りで美味かっ    た。) を食べ、自転車で興福寺・東大寺・春日大社・法華寺・海龍王寺・平城宮  跡・西大寺を回って17時頃ゲストハウスに帰りこの日奈良青少年会館YH泊。
4日目)来るのとは逆に、一路福島に帰宅。 
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1日目は、山越えで福島に行き、朝一番の新幹線で名古屋迄行き、そこから近鉄で伊勢志摩で降り、観光後”伊勢志摩YH(イセシマユースホステル)”泊の予定だったが、

(下は、近鉄線の名古屋駅。)


   見どころが無いのと翌日の行程の関係でキャンセルをお願いし、Uターンをして”鳥羽(妻に土産のブローチを購入)”経由で二見浦(フタミガウラ・フタミノウラ:自分の実家の有ったいわきの合磯(カッソ)海岸でも"二見ケ浦"が有り、夫婦岩が同じように有ったが此処が由来なのかと思われる。)の”太江寺YH(ダイコウジユースホステル)”泊。

(鳥羽駅で乗り換えた車輌。)

(”鳥羽”の駅前の風景。)

(鳥羽駅、”御木本(みきもと)真珠会館”そばの真珠の養殖湾にて。)


(”二見浦駅前”の前景。)

(”二見浦駅”の入口にかかげられている”しめ縄”)


(下は、太江寺YH。)

 昨日は2~3名の宿泊が有ったようだった。

(”太江寺YH”への入口。)

(”太江寺YH”への入口案内看板。)


2日目は、朝一番で”二見浦”の輿玉(オキタマ)神社と夫婦岩を観た後、本来の”伊勢神宮の”参拝の順序としては、外宮(ゲクウ:豊受大神宮(豊受大神:天照大神の御饌を司る))が先という事だが、時間・場所の関係で本来の参拝の順序とは逆の内宮(ナイクウ:天照大神を祀る)”へ向かった。

(”二見浦”への入口。)

(”二見興玉神社”の入口。)

(”大龍王神社”)


(二見浦の”夫婦岩”)

(二見浦の”夫婦岩”等の案内看板。)


 昔より、『一生に一度は、お伊勢参り』と言われるとおりと言っておこう。ツアーの団体さんに付いて、ガイドさんの説明を聞きながら廻った。  (”内宮”への参道の入口。)

(橋桁の向かって右側の上流の景色。)

(参道~内宮の中間ほどの所にあるせせらぎ。)

(下は、内宮の門前。)

(神楽殿。)


参詣の後には”お蔭横丁(オカゲヨコチョウ)”にて散策をし昼食をとった。

(内宮入口からの土産物店。先に行くと”お蔭横丁”への入り口方向)

(下は、”お蔭横丁”への入り口。)

(”おかげ座”。)

(名物”伊勢うどん” )

(”松坂牛の串焼き”もいただいた。)

(下は、”お蔭横丁”の入口手前にある、老舗『赤福』)

(観光案内所付近からの、道路を隔てた『外宮』への入口付近。)

(”外宮:豊受大神宮(とようけだいじんぐう)を祀る”の正門。)

(下は、地元のボランティアガイドさん)

(下は、遷宮後の、古い『外宮』。)







(下は、別宮『月夜見宮』)



(下は、『式年遷宮館』での展示物。)







(毎日神前に供えるという”かしき(食事)”)

(上記同様に毎日行われるという”火起こし”の道具。)

(『遷宮式年館』での”御幸”の模型。)

(御幸のときの”天蓋”)

(馬飾りの展示状況。)


(歩き回ったのでガッツリ食べた下宮入口近郊での”とんかつ定食”)


伊勢は暖かく、桜は満開で、風ではらはらと花が散り始めていた。

言われているとおり、最初の参詣はやはり”外宮”が正解と思われる。街の”観光案内所”で地元ボランティアさんの紹介を受けることが出来、マンツーマンで説明を受けたりでき、『遷宮式年館』にて予備知識が受けられるのである。”月夜見宮”も参詣した後に近鉄で名古屋迄戻り、新幹線での京都経由で近鉄で奈良迄行き、

この日は”うがや(なんでも、奈良の古代の一部族名だとの事)ゲストハウス”泊。  (下は、”うがやゲストハウス”)

(”うがやゲストハウス”)


 ゲストハウスは、学期初めでアパートの入居待ちの大学生もいたが、外国人が殆どだった。”柿の葉寿司”の夕食を食べ、入浴後に翌日観光の為に、奈良市内の下調べをしていると、市内の観光地図の質問をしてくる若い韓国の女性が居た。

 彼女は日本語に殆ど精通しているようで、微笑みながらいろいろと質問をしてきた。また、その後に我々の会話に合流してきた女性がいて、彼女は香港の女性で日本語が殆ど話せず、会話は英語だった。”登山”の話とかで、私も含めた3人でそれなりに会話は弾んだが、疲れている事とて、自分は22時には彼女達に

”お休み”の挨拶をして就寝した。

 3日目、ゲストハウスに注文していた朝食の茶粥(薩摩芋の切身入りで美味かった!)を食べ、備え付けのパソコンでメール等をチェックしていると「大阪へ行く予定!」と言っていた韓国の女性が出掛ける所だったので挨拶をしたのだが、彼女は急いでいたのか、昨夜とは打って変わり、けんもほろろで「口も利きたくない!」といった風情だった。最近の日韓関係の険悪な影響なのか、下心が有ったわけでもなく、自分が何か悪い事をした覚えも無く、少々戸惑ったが、彼女の出発の際には、自分は「行ってらっしゃい!」は言った。彼女は、会釈だけは返してくれた。

その内、自分が出掛けようとすると、今度は香港の女性が2階から降りて来て、会釈で挨拶を交わしている内に会話が弾み、出発時間を1時間遅らせる結果となったが、急ぐ旅でもなかったので、自分は片言英語で交友する時間が少々出来たのだった。  詳しくは聞けなかったが、彼女は『陳政旻(チェン・チン・ミェン)』と言う名前だと名乗り、私の名前も彼女に教えた。彼女の年齢は、やり取りの中で娘達より1歳下で、現在香港に住んでおり、学校はサン・フランシスコで卒業、職業は看護士さんとの事で、日本と同様に仕事はきついし大変らしい。”登山・トレッキング”が趣味と言う事で、山登りや津波の被害を受けたりした自分の地元の相馬については、”アピア泉”のウェブサイト(HP)を紹介したりして少しは懇親を深める事が出来たのではないかと思っている。
 お互い時間が無かったので、メールの交換の後、朝10時頃に別れたが、自分が自転車で興福寺・東大寺・春日大社・法華寺・海龍王寺・平城宮跡・西大寺を回って17時頃ゲストハウスに帰ってくると、彼女からの出合いに対する感謝の置手紙が有った。

(『陳政旻(チェン・チン・ミェン)』さんの、出会いに対する感謝の手紙。)


  奈良は、元気であれば”自転車”での場所巡りが最適だと思う。”興福寺”で  も”平城宮跡”でもNPOやボランティアのガイドさんが多数いて、 時間が無い私が焦るほどに”懇切丁寧”に案内をして頂いた。感謝に絶えない。


  世界遺産である奈良興福寺の、猿沢の池から観た五重塔や南円堂をバックにした桜は、”見事!”の一言であった。

(下は、”猿沢の池”から望む、”興福寺・五重塔”)

(”猿沢の池”の説明書き。)

(”奈良興福寺”の五重塔。)

(下は、”奈良東大寺大仏殿”への入口)

(”奈良東大寺大仏殿”)

(”奈良東大寺大仏殿”の中に鎮座まします”大仏様”)

(”奈良東大寺南大門”)




(下は、春日大社。)

(春日大社の説明書き。)

(寄進を募る案内板。)

(春日大社の入口。)

(法華寺)



(”西大寺”)






(下は、『平城京跡』の案内図。)


(下は、”平城京跡”の中に復元されている太極殿。)

(平城京跡に復元されている太極殿の中に展示されている”高御座”)


(屋根の最上部に取り付けられる”大棟中央飾り”の模型。)

(向こうの朱雀門を臨む)


(平城宮発掘跡)


 ”黒岩重吾”の愛読者でもある私は、蘇我馬子や聖徳太子が活躍したと言われる法隆寺等のある斑鳩の方面にも足を延ばしたかったが、時間もない事とて、またの機会とした。


 この日は、奈良青少年会館YH泊。
・奥さんがタイ人であり、現在の生活主体もタイで『桜を見たくて、一人だけで帰国した。』と言う中年の男性。
・ご主人が無くなり、年金暮らしの”ボケ防止!”とは言っていたが、一日一ヶ所巡りで30日程同YH泊をしており、あと10日は滞在する予定だと言って、大いに旅を満喫している、北海道からのご婦人。
・青春18切符で旅行ばかりしているという、話を聞くと波乱万丈な人生を送ってきたらしき、かくしゃくとして元気な”76歳の青年”等々、急な旅行で、宿泊先も急遽手配した忙しない旅だったが、宿泊先としたゲストハウスや久しぶりのYHで出合った人達もそうである様に、旅や宿は”人間”との出会いの場なのである。

しかし、その日の宿泊をキャンセルしいた私が言うのもなんだが、伊勢志摩YHのその日の宿泊客はゼロ。太江寺YHの宿泊者は私一人と言う有様で、他のYHも”経営難で経営続行を検討中”というYHも多いと聞いている。旅の疲れを癒せ、安価で、心優しく迎えてくれる憩いの場が少なくなってきている。

(技術士二次試験にも出題され、『観光立国を国策の一つとする。』…と、日本政府は言うが、旅行者は外国人と日本の中年・老人が殆どで、私の若い頃や日本に来る外国の人達の様に、リュック一つで旅をする日本の若者が少なくなったと感じる。)

奈良での旅行者は、家族連れも多く、洋の東西を問わず国際色豊かであったが、一人旅は?と言うと、欧米の人たちが多く、挨拶ぐらいで彼等と話す機会はあまり無かったが、何故か圧倒的に女子が多かった。 ”ファイト! 賢き女子達…!”


              【 旅行記終了 】

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