”東北の夏到来を告げる”と言われる『相馬地方の野馬追祭』が今月の25日~27日にかけて行われた。 何時も、各地域ではその準備で大わらわであり、 大震災の”復興が未だ道半ば”とはいえ、この祭りばかりは地元の皆さんは気合が入る。 誰もが”本気モード”である。
(今年、7月に行われた出陣式の様子)
(街中でも疾駆しています)
(現在も引き継がれている、旧相馬藩の藩主相馬氏の馬上姿)
(女性も参加します)
(下は、馬印ののぼりの数々)
(下2枚は、ひばりヶ丘での神旗争奪戦の様子。皆マジです。)
(見えない所での戦いもある)
「光陰矢の如し!」忙しさにかまけ、仕事ばかりに汲々としていては、人生が味気無くなってしまう。「今年度は新しい事にも挑戦してみよう。」と、4月からいろいろ始める事にした。
(下は、相馬市の松川浦)
(美しいつり橋、松川浦大橋)
(小松島とも言われている松川浦)
(小松島とも言われている松川浦)
(釣り糸を垂れながらのんびりと・・・)
(遠望の相馬港と松川浦大橋)
(かつては海苔養殖が行われ、あさり等の潮干狩りが出来た松川浦)
(被災を受けた海岸。壁の絵は”相馬野馬追い”の風景)
(被災を受けた海岸。壁の絵は”相馬野馬追い”の風景)
(被災を受けた海岸や港の復旧作業を行う、作業船の風景)
(被災を受けた海岸や港の復旧作業を行う、作業船の風景)
相馬市では、毎年度初めに『公民館教室』の受講生を募集している。 仕事をしながらの事なので、無理をせず、様子を見ながら絞り込もうと考えた。
1. 毎週木曜日の『男女混声合唱』
2. 毎週火曜日と日曜日の『社交ダンス』
3. 毎週土・日曜日の『弓道』
4. 毎週月曜日の『フルート』
以上の各教室を選んで、暫らくは見学をさせて頂くことにした。
1. の『混声合唱』は、女声はソプラノが5名、アルトが3名、男声はバスが2名、テノールが1名で、自分が入ったのでテノールが2名になった。 ”男声四部合唱”を歌う事もあるので、フルメンバーとなった。 (下は、合唱部での練習風景)
2. の火曜日の『社交ダンス』は、見学の初日に、早速練習に組み込まれて、”ブルース、ジルバ、ルンバ、チャチャチャ”等を踊ったが、いやはや目が回って疲労困憊であった。
(下は、ダンスのホールドの練習)
(先生の熱心なご指導)
(踊るは、”チャチャチャ”)
(先生の講義)
(実は、自分は沖縄総合事務局の施工管理の業務で昭和56~60年に、沖縄県石垣市に居た頃に『社交ダンスサークル』に入っていたことが有った。それよりも以前に、ある時期に簡単なステップを教わったことが有り、スキルアップを考えての事だった。忙しかった事も有り、”ワルツ”のステップを教わり始めた頃に足を運ばなくなってしまった。
※ 沖縄は、”米軍”の関係からなのだろう『社交ダンス』が当時も今も盛んであり、夕方になると自分が宿泊していた民宿のご主人夫婦なんかも「〇〇ちゃん(奥さんの名前)、ダンスに行こうか!」と、連れだってダンスホールに出掛けて行ったものだった。
自分も、或る時には我が女房殿とダンスホールに踊りに出掛けたことがあったが、彼女のステップに付いていけず、振り回されて終わってしまった事が有ったっけ・・・)
火曜日の教室へは、その後も2度程足を運んだが、仕事を終えてからの2時間余りの練習量はきつく、翌日の仕事に支障が出そうなので此方はお断りを入れる事にした。 今は別な公民館(先生も別)での、毎週日曜日の『ダンス教室』のみに通っている。
いやはや、『社交ダンス』というものは見た目の優雅さとは真逆に、気力・体力が要るものである。 ”姿勢を正し、保持したまま優雅に踊る”という運動は大変なエネルギーを必要とするのである。(モダンバレーは、その最たるものではないのか・・・と想像される。) 白鳥は優雅に泳いでいる様でも、見えぬ水面下では必死に水をかいでいるのである。
3. の『弓道(和弓)』は、以前(平成9~11年頃?)相馬市主催の『弓道教室』が開催され、それに参加した事が有った。 今回は3~4回通い、指南役からは「形は出来ているので、次回からは俵への的中てを始めようか?」と言って頂いたが、”教室活動”以外にもやるべき事も有り、此方も指南役に詫びを入れ、お断りをした。
”ひたすら弓を引く”と言う行為は、肉体は元より精神力を鍛えるものである。
当然”気力・体力・集中力”を必要とする。”頑張って踏ん張る”のは仕事の延長である。 疲れを癒せるような、もっと楽しい事を選ぶべきだと考えた。
4. の『フルート』は、1回目の見学で感じた事だが、3. と同様に自分にとって”欲求不満”が溜まる分野だった。自分の楽器《声》で歌う方、『合唱』を選び、此方は取りやめた。
(教室に通い、頑張らなくても『フルート』は、妻の指南を仰ぎながらも楽しめるし、ガット・ギターや、”バイエル”や”バーナム”等の教則本で、毎週末に練習で弾くピアノのように、気楽にやれる分野にしようと考えた。)
※ ありがたい事に、『混声合唱』への入会は”群馬の方たち”と同じ様に歓迎を受けて、その日に入会したものだった。
早速、”エチュード(練習曲)”が17曲、”レパートリー(演目曲)”が22曲の楽譜を受取り、練習が始まった。 (社交ダンスもそうなのだが、相馬地方は、中・高等の学校も含めて ”合唱の部会”があちこちで盛んに開催されている。)
当教室では、コーラスとソロでの”2回/年”の発表会があり、コーラスの方では、今年のレパートリーは、 ①悲しみの聖母(StabatMater:Z・ゴーダイ作曲.ハンガリー)をラテン語で歌う。 ②バイカル湖のほとり(ロシア民謡)をロシア語で歌うという大変な課題である。
① の『悲しみの聖母』は譜面を見て、情感を込めながらなんとか歌えるようになったが、
② の『バイカル湖のほとり』は難題である。この歌は、帝政ロシア末期の”デカブリストの乱(皇帝による専制や農奴制の廃止を訴えた動乱)”に加わって捕縛され、流刑になった人物を歌ったものと云われている。 悲しみを抱えつつも、ロシア民謡独特の力強さで、朗朗と謳い上げなければならない。 歌詞が長く、3番 (全部で6番まである。)まであり、2番においては、途中で男性合唱が二部から四部(テノールとバスのそれぞれ二部、つまりは、女性を含めた六部合唱となる。自分はテノールの低音部を受け持つことになった。
(「練習次第では、ある程度どうにかなる《テノールからバスに移った人もいる》。」とも言われたが、自分は以前群馬混声合唱部の先生に、「どちらかと言うとバリトン《テノールとバスの中間》でしょうか・・・」と言われたことがあった。)
但し、歌詞にはラテン語が併記されているのでロシア語の発音は比較的に楽である。 ”チャレンジのし甲斐がある”と言うべきレパートリーである。
(『ロシア民謡』と言えば、若い頃に、新宿の西武新宿駅前に有った《今でも有るとの事》【歌声喫茶・ともしび】という店に何度か通い、店内で4~5冊の手のひらサイズの歌集を購入し、店内の大勢の来客と共に、ロシア民謡を謳い上げたものだった。)
教室は19:00~21:00の2時間で、合唱理論・身体の使い方・呼吸法等の講義を行い、発声練習をしてから、何曲か練習をするのだが、発表会が近い事とて、最近はこの2曲に絞り込んでいる。 先生は70歳代の方で、明朗快活・冗談好きで、時折我々の予測を裏切る様な行動に出ては、皆を慌てふためかせて笑いを誘う。また、楽しくもキツイ練習の後には「木曜どうでしょう?」とばかりに、その日その時の先生の気分で、”何が出てくるか分からない?” エチュードの曲をピアノで弾きだして、 ユニゾン(同一旋律の多人数による斉唱:合唱の対)で気持ち良く歌わせてくれる。
(群馬でも新曲の歌い始めは、先生が生徒に「皆さん、最初はカラオケで、さあどうぞ!」と歌わせてくれたものだった。) ユニゾンでも男女が歌うと素敵なハーモニーとなる。
今の所、先生の好きな楽曲は、 ①初恋(石川啄木作詞・越谷達之助作曲)、 ②出船(勝田香月作詞・杉山長谷夫作曲)、 ③荒城の月(土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲・山田耕作編曲)、 ④早春賦(吉丸一昌作詞・中田章作曲)・・・といったところの様だ。
21時までの練習から帰宅してから、自分が心地良く①『初恋』等を歌った時、女房曰く「中島みゆきの”ヘッドライト・テールライト(NHK:プロジェクトXのエンディング曲)”と同じ様に、 寝付いてから、夢の中でも頭の中でグルグルと歌が流れていて、怖い!」と言っていた。
『混声合唱』は素晴らしい。男声合唱も女声合唱も良いが、男声では出せない人間離れした、素晴しい高音域の楽器の様な女声ソプラノと、それに調和する貴重で重要な女声のアルト。そして、それらの対極となる太くて深いバス。その中でバランスを取りながら、軽やかに泳ぎ回るようなテノール・・・といった合唱が、声の強弱・バランス・息等がすべて合い、素敵なハーモニーが奏でられた時には、「歌っててよかった!」と思えるのである。
(下は、発表会のあった”さくらホール”)
(孫にも衣装・・・)
(ダンスパーティ:メンバーが2~3回/月に集って、楽しく踊る)
(ダンスの発表会前夜のリハーサル)
(記念撮影)
【 終了 】
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