映画「のぼうの城」舞台、埼玉県の忍城!水攻めの歴史・アクセスなど観光ポイントまとめ (1/2)
今度の休日、ちょっと隣町のお城を訪ねてみませんか。
新しい発見や出会いがあるかも知れません。
行き先は、小説や映画の舞台にもなった埼玉の古城です。
埼玉県忍城(模擬御三階櫓)
行き先は埼玉県行田(ぎょうだ)市。
城の名は忍城(おしじょう)。
関東七名城のひとつに数えられます。
一見すると中々立派な復元天守に見えますが、これは江戸期忍藩の時代にあった三階櫓を絵図面を参考に、模造したものです。
天守台に乗せて破風まで付けた立派な外観がやや大袈裟な感じですが、町のアイコンとしての再建でもあります。
室町時代、1478年頃成田顕泰により忍城が築かれ、成田氏は四代百年続きます。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めでは、石田三成による水攻めを受けましたが、忍城は持ち堪え落城を免れました。
江戸期には忍藩十万石の政庁として徳川家譜代の城主が入れ替わりながら明治維新を迎えました。
明治6年廃城令により廃城。
忍城は四百年の歴史を閉じました。
昭和63年(1988)年、本丸跡地に行田市郷土博物館が完成し、周辺も忍城址公園として整備されました。
博物館では「行田の歴史と文化」のテーマのもと、中世忍城の起こりから石田三成の水攻め、さらに江戸時代の忍城の変遷と城下町の暮らしが展示されています。
この御三階櫓も実は博物館の展示室の一部となっています。
なかでも「足袋と行田」では、行田が江戸時代後期から明治大正昭和まで続く足袋の一大生産地であったことが紹介されています。
レトロな雰囲気が好きな方にはお勧めです。
博物館の裏手に土塁の一部が現存
忍城は荒川と利根川に挟まれた低湿地の沼に浮かぶ小島を連結して築かれた城でした。
天正18年秀吉の小田原攻めの際、北条方の忍城は石田三成率いる二万の軍勢に囲まれました。
三成は秀吉の備中高松城攻めに倣い「水攻め」を敢行します。
全長28kmにも及ぶ堤防を築き、川の水を引き込んで城を水没させる戦術でした。
この時の堤防の一部が「石田堤」として今も残っています。
しかし堤防の決壊などで失敗に終わり、ついに忍城を落とすことが出来ませんでした。
以後「忍の浮き城」と呼ばれるようになりました。
この歴史に名高い忍城攻防戦は、たびたび小説の題材として取り上げられています。
- 「笄堀」山本周五郎(昭和18年)
- 「風来忍法帳」山田風太郎(昭和38年)
- 「紅蓮の狼」宮本昌孝(平成10年)
- 「水の城〜いまだ落城せず」風野真知雄(平成12年)
- 「のぼうの城」和田 竜(平成19年)
ほか
特に「のぼうの城」は映画化され、2012年11月に公開されました。
本来2011年9月公開予定でしたが、水攻めのシーンが余りにリアルで、東日本大震災による津波被害に配慮しての処置でした。
石田三成が本陣をおいた丸墓山というのは実は6世紀の古墳(円墳)です。
直径105m高さ18.9m
この辺り一帯は9基の大型古墳が残る全国有数の古墳群で、埼玉古墳群と呼ばれています。
埼玉は「さきたま」と読み、現在の県名の由来となっているそうです。
丸墓山(円墳)
隣の稲荷山古墳(前方後円墳)から見たところです。
右手後方に忍城三階櫓が望めます。
丸墓山の頂上より忍城下を望む
上杉謙信や石田三成も、ここから忍城を見下ろしました。
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