現世の罪を償え…神秘の未完成建築「サグラダファミリア」徹底解説 -前編-
こんにちは、個人観光ガイドの水谷かおりです。
年間来場者数約320万人、スペインで最も人を集めるサグラダファミリア。
人々の現世の罪を償うため、1882年3月19日に着工されました。
それから既に130年以上も建設が続いているこの教会、一体いつ完成するのでしょうか。
部分ごとに歴史に触れながら、工事の進捗状況をお伝えいたします。
まずは前編です。
サグラダファミリアといえばガウディですが、実はこの教会は初代主任建築家、フランシスコ・デル・ビリャルのネオゴシック様式の設計の基、工事が始まりました。
しかし、着工からわずか1年後、同氏は施主との意見の相違により地下礼拝堂の工事半ばに辞任。
当時31歳だったガウディが、後任建築家として抜擢されます。
彼は、教会の構造や向きを大幅に変えたかったものの、予算の問題からそれを諦め、既存の構造を踏襲し、そこに彼独自の演出を加えていったのです。
前任者が建設した地下礼拝堂は、天井が低く薄暗くて閉鎖的。
しかし、ガウディは、以前より広々とした換気性に優れる明るい空間に生まれ変わらせました。
この地下礼拝堂では、1885年からミサが執り行われ、1889年に一度完成しましたが、ガウディ没後10年の1936年のスペイン内戦により、全体が破壊されてしまいました。
偉大なる建築家たちが修復し再完成後、2005年には、この礼拝堂部分は世界遺産に登録されたのです。
教会頭部を保護する壁としての機能をする後陣。
その地下にある礼拝堂のフォルムが投影されるこの部分の形状は、初代主任建築家の構図から切り離すことはできず、地下と同様に7つの小聖堂を設計しました。
1891年に後陣の基礎となる地階部分が着工した頃、教会は匿名で莫大な寄付を受け取ります。
ガウディは、教会全体の設計をこれまで続けてきたネオゴシック様式ではなく、自然を基調とした独自のモデルニスモ様式に変更。
いくつもの巨大な塔を配し、福音の重要なシンボルの数々を彫刻として配することにより、教義を表現することに決めました。
後陣の外壁は、爬虫類や両生類など、当時にしては極めて大胆な装飾を施しました。
これらは雨水の排水の役割を果たしています。
後陣の構造は1894年に完成し、現在は高さ130メートルに達するマリアの塔を建設中です。
こちらには、聖母マリアの受胎告知からキリストの少年期までの様々なエピソードが、壁が見えない程に配された彫刻で表現されています。
サグラダファミリア着工後10年の1892年に、基礎工事が開始されました。
ガウディの構想は予想以上に膨らみ、一世代だけで教会全体を造り上げることは不可能だと気付き、活力に満ちた手本を残すことに決めました。
その手本こそが、生誕のファサードです。
その建設には38年の歳月が費やされ、彼が亡くなった4年後の1930年に4つの鐘楼(98メートルと107メートルの塔がそれぞれ2本)が完成に至りました。
このファサードは、サグラダファミリアでもっともガウディらしい部分だとされており、彼が掲げていた目標通り、プロジェクト後継者達の見本となっています。
彫刻群の多くは1936年の内戦により破壊されてしまいましたが、後の修復作業により復元。
2014年7月、日本人彫刻家、外尾悦郎氏によりデザインされた、最初のブロンズ門が取り付けられました。
サグラダファミリアはユネスコの世界遺産ですが、実は、先述した地下礼拝堂とこの生誕のファサードだけが、現時点では登録されている部分なのです。
歴史を振り返りながらの前編、いかがでしたでしょうか。
次回は後編、サグラダファミリアの完成時期に迫ります。
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