修道士ドン・ペリニヨンは本当に泡のあるワイン、シャンパーニュ(シャンパン)を発明したのか? ~ワインの歴史~
日本ではシャンパンと呼ばれることもある発泡性ワイン、シャンパーニュ。
世界中で数多くのスパークリングワインが生産されていますが、泡のあるワイン、スパークリングワイン全てをシャンパーニュ(シャンパン)と呼ぶことは認められておりません。フランスの原産地呼称統制法によりフランス北部のシャンパーニュ地方において造られたスパークリングワインのみをChampagne(シャンパーニュ)と定めております。
シャンパーニュはパリの東、フランス北部に位置します。ジャンヌ・ダルクで有名なランスがシャンパーニュの中心都市です。シャンパーニュはフランスのブドウ栽培の北限であり、厳しい気候のもとブドウ造りが行われております。
世界で最も有名なワインの一つ、ドン・ペリニヨン。
ワインを飲まない人でさえ名前くらいは聞いたことがあるほど世界的に有名なシャンパーニュの銘柄です。そして、この銘柄 “ドン・ペリニヨン”はシャンパーニュ製法を発明したといわれている修道士の名前に由来します。
泡のあるワイン、シャンパーニュ。その発明秘話です。
時は17世紀後半(日本は江戸時代)、ドン・ピエール・ペリニヨンはシャンパーニュ地方オーヴィレール修道院の修道士でした。ちなみに、名前はピエール・ペリニヨン。ドンは尊称です。同じくシャンパーニュの銘柄にドン・リュイナールというものがありますが、こちらも修道士の名前に由来しております。
当時のシャンパーニュ地方は赤ワインの産地として、修道院主導のもとワイン造りが行われていました。そして、当時の修道士たちを悩ませたことの一つが“泡のある”ワインの存在でした。まだガラス瓶がワインに使用される前の時代です。樽に入れて保管されたワインに時折“泡”が見られたのです。
ブドウからワインになる過程は単純です。収穫されたブドウを搾り、ブドウ果汁を得ます。果汁には糖分が含まれており、その糖分がアルコールと二酸化炭素に分解されることによってワインというアルコール飲料が出来上がります。ブドウを搾って放置するだけでワインになるのです。
秋に行われるワインの醸造ですが、秋深くなると気温が下がるシャンパーニュにおいては、醗酵が完全に終わる前に冬を迎えることがあります。完全に糖分がアルコールに変わる前に気温が下がり、酵母が活動を休止してしまうことが度々あったのです。当時は温度を管理することなどできるはずもありませんでした。
春になり暖かくなったころに酵母が活動を再開し、残った糖分により再びアルコール醗酵を開始します。ワインが保管されている樽には栓がしてありますから、醗酵により生成された二酸化炭素が逃げる場所はありません。生成された二酸化炭素がワインに溶け込むのです。
こうして、忌み嫌われた“泡のある”ワインが出来上がりました。当時の泡は現在のシャンパーニュのような洗練された泡ではありませんでした。雑味になるような荒い泡。この泡をどうにかしたいと当時の修道士たちは皆頭を悩ませていたのです。
シャンパーニュを発明したと言われる修道士ドン・ペリニヨンも例外ではありませんでした。彼が生涯をかけて取り組んだのは、泡のできるワインではなく、常に泡の無いワインを造ることでした。
ワインが発泡しないための試行錯誤が始まります。加えて、修道士ドン・ペリニヨンは美味しい白ワインを造りたいと考えていました。気候的に厳しいシャンパーニュ地方において赤ワインではブルゴーニュにかなわないと知っていたからです。当時のシャンパーニュ地方は赤ワインの産地、すなわち黒ブドウが多く栽培されていたにもかかわらずです。
ある日、彼は黒ブドウから白ワインを造ることを思いつきます。黒ブドウも軽く搾ればそれほど果皮の色がワインに移らないのです。また、泡の原因である再醗酵が起こる確率も白ブドウよりも黒ブドウの方が低かったのです。
さらに、シャンパーニュはフランスのブドウ栽培地の北限で、毎年安定したブドウが収穫出来ませんでした。そこで、彼は畑ごとのブドウの熟し具合の違いをうまくブレンドすることでバランスを取ることを考えます。現在のシャンパーニュにヴィンテージものが少ないのはこのブレンドの歴史があるからです。実際素晴らしいブレンダーだったようで、彼の造ったワインはたちまち評判になりました。
その当時、シャンパーニュ地方のワインはイギリスに樽に入った状態で輸出されていました。フランス産の“泡のない”ワインとして出来立てのワインを出荷していたのです。
同じころ、イギリスにおいてワインの歴史にようやくガラス瓶が登場し始めます。ワインの酸化や腐敗を防ぐ為にガラス瓶に入れ替えるようになったのです。
樽に入ったワインが発泡するのであれば、瓶に移し替えても発泡するわけです。その瓶入りの発泡性シャンパーニュがイギリスの貴族階級で流行しました。そして、その流れがフランスの宮廷に届くのも時間の問題で、瓶口から溢れ出す泡が宮廷の華やかなイメージと相まって大いに受け入れられたのです。
修道士ドン・ペリニヨンの思惑とはうらはらに”泡のある”白ワインが王室で持てはやされました。
現在のシャンパーニュは瓶内二次発酵という行程を経て、ワインに泡を含ませています。一度ワインとして完成したものを瓶詰めし、そこに酵母と蔗糖(糖分)を加えて栓をします。再び発酵させて生成される二酸化炭素をワインに閉じ込めるのです。
当時の偶然できる泡のあるワインから現在の繊細で華やかなシャンパーニュに至る歴史はまだまだ続くというわけです。
それではなぜ修道士ドン・ペリニヨンがシャンパーニュを発明した人と言われるようになったかについては、いくつか理由があるようです。
オーヴィレール修道院最後の出納役、ドン・グロサールがすでに伝説となっていた修道士ドン・ペリニヨンの高い評判をさらに粉飾して記録したという話。
1889年のパリ万博の時に泡のあるワイン、シャンパーニュを大々的に宣伝するために修道士ドン・ペリニヨンがあたかもシャンパーニュの発明者であるかのように取り上げたこと、など。
伝説に尾ひれがつき、“盲目の修道士が星を飲んだ”などと後世に伝わったようです。
とはいえ、彼の残した功績が偉大であることは間違いありません。
黒ブドウから白ワインを造ること(現在のシャンパーニュのブラン・ド・ノワール)、さまざまな畑のワインをブレンドすること(現在は畑だけでなく、さまざまな年代のストックワインをブレンドしてブランドイメージの味わいを作り出しています)など、修道士ドン・ペリニヨンが現在のシャンパーニュの礎を築いたと言っても過言ではありません。
|
|
・1995年 山形「パレス・グランデール」
・2003年 東京「タテルヨシノ・芝」 メートル・ド・テル
・2004年 フランスに渡る。各地で研修その他
・2007年 パリの日本料理店「あい田」シェフ・ソムリエ
・2008年 パリ「あい田」日本料理店初のフランスミシュラン一つ星獲得
・2012年 日本に帰国
・2013年 和歌山 「オテル・ド・ヨシノ」 支配人兼シェフ・ソムリエ
・JSA認定 シニアソムリエ
・S.S.I. 認定 唎酒師
・フランス・パリ農業コンクール ワイン部門審査員
・ソムリエ試験対策サイト
『ちょっとまじめにソムリエ試験対策こーざ』管理人
http://koza.majime2.com/
|
|