千葉県の古城「久留里城」を見に行こう!歴史・文化・観光ポイント・アクセスまとめ
日本中に有名無名、数え切れないほどの「お城」が残っています。
いつ誰がどうして建てたのでしょう。どんな歴史があるのでしょう。
今度の休日、ちょっと隣り町の「お城」を訪ね、その城下町を歩いてみませんか?
新しい発見や出会いが待っているかもしれませんよ。
久留里城(くるりじょう)という、何だか可愛らしい名前のお城です。
房総半島の真ん中辺り、千葉県君津市久留里の山の上に建っています。
築城は1456年といいますから室町時代中期、八代将軍足利義政の治世に、上総守護代となった武田信長によるものと伝わります。
山頂に立てこもって守り、戦うための「山城」と分類されます。
長い坂道を登ってゆくと、突然目の前にこのような美しい姿の天守が、空を背景に立ち現れて来て、印象深く記憶に残りました。
「お城」との良き出会いの瞬間ですね。
久留里城 : (模擬天守)千葉県君津市久留里字内山
別名:雨 城 (築城の頃雨が多かったという伝説から)
城の主は合戦の結果や支配者の意向により頻繁に入れ替わるのが常で、久留里城主も例外ではありません。
武田氏に続いて房総に勢力を持つ里見氏が入城、関東の支配権をめぐって小田原北条氏と激しく争いました。
江戸時代に入ると久留里藩の藩庁となり、徳川家譜代の大須賀氏、土屋氏と続き、近世城郭として整備され城下町も発展しました。
その後一度廃城となりますが、1742年同じく譜代の黒田直純が三万石を得て再興、黒田家は維新まで続きました。
そして明治5年の廃城令をもって、久留里城はその長い歴史を終えたのです。
手前の盛り土状の部分が実際の天守台の遺構
1979(昭和54)年天守が再建され、今日まで市民や近郊からの行楽客に親しまれています。
黒田直純が幕府に差し出した再建計画の絵図面を見ると、確かに山頂に二層瓦葺きの櫓が描かれており、天守のような象徴の意味があったかと思われます。
再建に際しては、建物の正確な史料がないため、一般的な「お城」「天守閣」としての印象を優先して、三階建展望台付きで浜松城に似せた形で建造されました。
こういう史料に基づかない観光用の天守を模擬天守と呼びます。
実際には存在しなかった天守を、それらしく模造してしまった「お城」は全国に多数存在しています。
では模造をどう考えるかと問われたら、人がお城(正確には城跡といいます)を訪れて感じるのは、群雄割拠した戦国時代への思い、ロマンのようなものではないでしょうか。
時差の埋め合わせに必要なのが想像力ですね。
そんな想像の手助けをしてくれるのが、再建された天守や櫓ではないでしょうか。
そういうアイコンとしての天守なので、個人的には余程唐突なものでなければ良しとする立場です。
建築の勉強に行くわけではないので、気軽に展望台へも登ってみましょう。
紅葉、桜の頃の美しさも想像できます。
二の丸の久留里城址資料館は、古代から明治にかけての久留里の史料を展示しています。
入場無料です。
お城を堪能したらもう一度城下町へと下りてゆきましょう。
登城の前と後では城下町の見え方も何処か違ってくるものです。
帰り道の城下町歩きがお勧めです。
久留里藩の城下町として栄えた歴史ある町
古い商家の建物が並び、懐かしさを誘う町並みです。
また酒蔵が久留里周辺で五蔵もあるそうです。日本酒党にもお勧めの町なのでした。
お勧めはJRで木更津から久留里線に乗り換え10駅目が久留里。
殆どが無人駅の単線ローカル鉄道の旅です。
久留里駅から山頂までは1km強ありますが、城下町を眺めつつ歩きましょう。徒歩約30分です。途中林道も歩くので歩きやすいシューズで。
ほかに高速バス、東京駅〜安房鴨川(1日20往復)もあります。
JR久留里線の様子
今年2月の大雪で天守の屋根瓦が落ち、現在修復中で天守本丸へ立ち入り出来ません。
10月20日完成予定ですので、秋晴れの一日を選び、ぜひお出掛け下さい。
|
|
|
|