知名度No1作曲家、ベートーヴェンのオモシロ雑学と、おすすめクラシック曲まとめ (1/2)
こんにちは。ピアニストの小川瞳です。
クラシック音楽で世界的に有名な、ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、小学校の音楽室に肖像画があったり、音楽の教科書に載っていたりしますので、昔から馴染み深い人も多いのではないでしょうか。
今回は、ベートーベンの波瀾万丈な生涯とその魅力あふれる作品を紹介します。
ベートーベンは、クラシック音楽において数多くの名曲を残しています。
冒頭があまりにも有名な「運命」(交響曲第五番)や、年末によく聴く「歓喜の歌」(交響曲第九番第四楽章)もベートーベンの代表作です。
「歓喜の歌」というのはシラーの詩で、作詞家のなかにし礼による日本語版も存在します。
youtubeより引用
ベートーベンは、ピアノ曲にも有名な作品が多いのです。
ピアノソナタでは「悲愴」、「月光」、「情熱」と呼ばれる三大ピアノソナタ、そしてピアノ愛好者の最初の目標となることも多い「エリーゼのために」も、ベートーベンの作品です。
youtubeより引用
「エリーゼ」とは、ベートーベンが愛した女性であると言われており、貴族の娘テレーゼ・マルファッティへの恋心を表現したものです。
本来の原稿には「テレーゼ(Therese)のために」と記されていましたが、悪筆により「エリーゼ」と誤読されてしまったようです。
曲の愛らしく可愛らしい部分は恋の楽しさを、激しい曲調は別れの悲しみや激情を表しています。
現代でも広く愛されている知名度の高い曲で、宇多田ヒカルさんが2002年に出したアルバム「DEEP RIVER」収録の「幸せになろう」という歌は、この「エリーゼのために」をもとにして作られています。
ベートーベンは、ピアニストとして7歳から演奏会に出演し「早熟の天才」として活躍しました。
「第二のモーツァルト」になるため父親が英才教育をし、10代になる頃にはベートーベンが家計を支えていたと言われています。
16歳の時、ウィーンでモーツァルトとの対面を果たします。この時モーツァルトは30歳で、「フィガロの結婚」の公演を成功させた頃でした。
そして22歳の時に、ハイドンなど幾人かの作曲家に師事し、本格的に作曲の勉強を始めました。
エチュードで有名なツェルニーは、ベートーベンの弟子だったり、歌曲「魔王」、「野ばら」などで知られるシューベルトは、ベートーベンの友人だったりと、偉大な音楽家とのつながりもあります。
しかし、28歳の時に耳が聞こえにくくなり、難聴が悪化していき30歳の時にはもうほとんど聞こえなくなっていたようです。
そこで作曲専門の音楽家に転進し、ベートーベンは数々の名曲を生み出しました。
難聴になってからが、ベートーベンの黄金期となったと言われています。
この時期に、「エロイカ」、「運命」、「田園」などの交響曲やピアノソナタ、オペラ用楽曲などが次々と製作され、発表されました。
youtubeより引用
交響曲第三番「エロイカ」は、英雄ナポレオンへ捧げる筈だった、いわくつきの曲です。
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ピアニストとして東京や茨城を中心に、ソロの演奏会やオーケストラとの共演など、数多くの演奏活動を行っております。
音楽心理士の資格も持ち、トークコンサートやコンクールの審査員もつとめております。
また長年に渡り執筆活動も並行して行っており、小説を3作品出版しております。
こちらのサイトでは、幼少時よりピアノを学び続け、クラシック音楽の世界に身を置く私ならではのコラムを執筆できたら、と思います。
よろしくお願い致します。
小川瞳 公式ホームページ https://ogawahitomi.amebaownd.com/
小川瞳作曲 笑顔のBGM
https://youtu.be/Qrt-stZPTb8
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