世界三大美女とは誰?「小野小町」を入れるのは日本だけらしい。 (1/2)
教科書やテレビなどでたまに耳にする「世界三大美女」。
CMなどでも使われる有名なキャッチフレーズですが、微妙に美女の中身が変わってることもあり、実は詳しく知らない方も多いかと思います。
美女の中身は時代によって変化していますが、基本的には固定化されています。
ここでは最も一般的に広まっている三大美女をご紹介します。
世界三大美女は、ノミネートのように決められたわけでもなく、歴史学者やどこかの王様が決定しているわけでもありません。
さらに言いますと「世界三大〇〇」という呼び名自体、世界での認識は低く、ほぼ日本独自のキャッチコピーであると言えます。
世界三大美女は噂話のように広まり、その時代に人気だった女優やセレブの名前が入るようになりました。
ご存知クレオパトラは、最も知名度が高い美女ですね。
エジプト王国の最後の女王であり、絶世の美女としては知名度ナンバーワン。
フランスの哲学者パスカルが「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」 と言うほど、その美貌は当時から光り輝くものがあったとされています。
一説では、さほど美人ではなかったという説もありますが、こちらの説も敵国であったローマ陣営が流した流言であったともされ、クレオパトラの風貌が本当はどのようなものだったのか、まだ確立されていません。
また、クレオパトラは美貌だけでなく知性と品性も兼ね備えた女性とされています。
当時の権力者達は、クレオパトラ恐ろしいほどの英知と閃きに「言葉では言い表せない魅力美」を感じたのかもしれません。
中国唐代の皇妃である、楊貴妃(ようきひ)。
こちらも大変有名な女性ですね。
楊貴妃の「楊」は名字で、「貴妃」は身分を表す言葉で、後宮にいる女性3千人の中での最高の位となります。
ちなみに彼女の本来の名前は「玉環(ぎょくかん)」と言います。
玄宗皇帝の寵姫であり、彼女の洋服や装飾品を仕立てる専属職人が1000名以上いたとされるほど、とにかく皇帝からの愛情を受けていた楊貴妃。
玄宗皇帝が彼女を寵愛し過ぎたため、安史の乱が引き起こされたと言われており、そのことから「傾国の美女(国情を傾けるほど影響力を持った美女)」と呼ばれています。
楊貴妃は、安史の乱にて玄宗皇帝から自決を命じられ、その命を落としました。
怒り狂った民衆からの要望を拒みきれず、苦渋の決断を下した玄宗皇帝ですが、楊貴妃の亡骸を見て血の涙を流すほど悲しみに明け暮れ、その後、幽閉された後は楊貴妃を想いながら亡くなったとされています。
最後は「小野小町」ではなく、世界で見るとギリシャ神話の女神ヘレネとされています。
ヘレネは他の美女たちと違って創作上の人物であるため、この3人目の枠は時代により「小野小町」でや「マリー・アントワネット」に代わることも。
スパルタ王と王妃の娘として生まれたとされていますが、実父はギリシャ神話の主神ゼウスであり、実母はネメシス
という、言うなれば女神として誕生しました。
やがてトロイアの王子にさらわれ、トロイア戦争の引き金になったとされています。
トロイアの王子の死後は、彼の弟達がヘレネを巡って争い、ギリシャ中の英雄たちから求婚を受けたとされるほどの美女。
ちなみに英語名では「ヘレン」となり、ヘレネ由来の美女になるよう付けられる、今でも人気の名前です。
日本では三大美女といえば「クレオパトラ」「楊貴妃」そして「小野小町」とされています。
しかしこの小野小町は、日本だけで通用する独自の見解なのです。
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