世界三大美女とは誰?「小野小町」を入れるのは日本だけらしい。 (2/2)

執筆者: 釘崎アンナ 職業:サブカル研究家

 

本名は不明

小野小町ですが、小町は名前ではありません。

小野小町は平安時代に存在した女性とされていますが、当時の女性は名前を呼ばれることはなく、父や夫の役職名で呼ばれることが多かったのです。

 

そのため小野小町も、父か夫が「小野」氏を名乗っていたため「小野」、小町は彼女自身の官位(後宮での地位を表す役職名)であるとされています。

 

小野小町伝説が凄過ぎる。

秋田に生まれ、その美貌から都仕えに出てからは、美貌のみならず大変な知識と教養で瞬く間に宮中の才女として名を馳せ、数多の求婚を断り続けたとされています。

 

特に、熱烈な求愛を続けていた深草少将(ふかくさのしょうしょう)に、100日通い続けたら求婚を受けるという、かぐや姫さながらの条件を出したという伝説も残されています。

 

歌人・紀貫之が小野小町伝説の生みの親?

平安時代を代表する歌人の1人、紀貫之(きのつらゆき)が、小野小町を六歌仙の一人として絶賛し、有名な「古今和歌集」へ納めたのが最大の原因とされています。


その後、当時の文豪や新聞記者達がキャッチコピーとして使用し出したことから、小野小町の名前が引き継がれたともされています。

 

まとめ

何かと謎の多い世界三大美女ですが、どの女性も美貌だけでなく、類稀なる才知と教養を兼ね備えていたことが、当時の権力者達の目に留まったという共通点があります。

 

外見だけでなく中身も兼ね備えた、美しく知的な女性になること。

現代の女性達にも参考になる「美のポイント」であると言えますね。