子どもの日に柏餅を食べる由来は? 端午の節句の豆知識まとめ
こんにちは、「季節の和菓子と楽しむ日本茶サロン」主宰・日本茶アドバイザーの柳澤ゆり子です。
新緑が爽やかな風になびく頃、5月5日「端午の節句」がやってきます。
男の子の成長を祝う日として知られていますが、どうして柏餅を食べるようになったのでしょうか?
旧暦で暮らしていた時代の5月は梅雨の頃、5月5日は梅雨時の悪日(あくにち 物事をするのに良くないとされている日)として、お祓いやお清めをする日でした。
香りの高い菖蒲の葉を軒に吊るす、菖蒲湯に入ることで邪気を祓った為、「菖蒲の節句」とも呼ばれます。
今でも菖蒲湯に入りますね。
この菖蒲(しょうぶ)の音が「尚武=武士を尊ぶの意」に通じるので、江戸時代頃には武具を飾って男の子の成長をお祝いする節句として広がりました。
昭和23年以降は、男女の関係なく、子供の成長を願う日となっています。
端午の節句と言えば、鯉のぼりや菖蒲湯よりも先に浮かぶのが柏餅、という人も多いことでしょう。
鯉のぼりを飾る庭のない家庭が増え、菖蒲湯に入る習慣は薄れても、柏餅を食す文化は根強く受け継がれています。
柏餅が我々大衆に広まったのは江戸時代でした。
この時代、砂糖の輸入量が増え、国内生産も始まったことから、下級武士や町人・農民にとっても菓子は身近な存在となり、贈答の機会も増えたのです。
そんな江戸時代は武家が中心の社会でしたので、「翌年新芽が育つまで古い葉が落ちない」柏の葉の特徴は、家系が途絶えない縁起物として愛され、子孫繁栄の願いを込めて使用される事となります。日本人は、昔から縁起担ぎが大好きだったのですね。
また、柏餅は自家で食べるだけでなく、近所や親戚などにも配る習慣があったそうです。
『南総里見八犬伝』で有名な江戸後期の作家、滝沢馬琴の『馬琴日記』には、「孫の初節句では約300個の柏餅を菓子屋に注文した、他の年にも毎年自家製で200~300の柏餅を作り、親族や近所・出入りの商人などにも配った」との記録が残っております。
一方、関東の柏餅に対し、京都・大阪で食されるのは粽(ちまき)です。
こちらも、端午の節句の祝い菓子で、団子生地や米餅を、邪気を払うとされる笹や茅(ちがや)で巻いて蒸したものになりますが、歴史は古く、ルーツは古代中国にまで遡ると言われています。
平安時代には、既に日本に伝わっており、貴族社会では、端午の節句に粽の贈答が見られるそうです。
立春を起算日(第1日目)として88日目にあたる「八十八夜」は、一年で一番美味しいお茶がとれる時期とされています。
GW頃から、全国の茶畑は茶摘みの最盛期を迎えるのですが、この時期に摘み取られた柔らかい新芽で作られるのが新茶です。
因みに、日本一早い新茶の茶摘みが始まるのは種子島で、3月末にはお茶屋さんに入荷致します。
ビタミンCを多く含み、元は薬として日本に伝来した緑茶は、栄養の宝庫でもあり、新茶を飲むと「健康に過ごせる」「長生きできる」と言われています。
ぜひ、柏餅に新茶をあわせてみてはいかがでしょうか?
葉に包むという習慣は、器のない時代にご飯や餅を木の葉に盛っていた名残でもあるのですが、それだけではありません。
お皿の代わりにしただけでなく、葉の香りをも楽しみ、抗菌や防腐の効果をも取り入れ、葉の特徴に願いまで込めた古からの知恵は、引き継ぎ残していきたいものです。
今年は、子孫繁栄を願い、家族の健康を祈りながら、丁寧に淹れた緑茶とともに柏餅を頂いてみてくださいね。
参考文献
- 『和菓子の四季』 2003年 淡交社発行
- 『和菓子の楽しみ方』 1995年鈴木宗康他著 新潮社発行
- 『江戸時代から続く老舗の和菓子屋』 2014年 山本博文監修 双葉社発行
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