東京の豚骨醤油ラーメン「ホープ軒」系の歴史!~ラーメンの歴史シリーズ その2~

執筆者: しんたた

前回は横浜の豚骨醤油ラーメン・家系の歴史をご紹介しました。

 


しかし、実は横浜の家系よりもっと早い時期に東京で豚骨醤油ラーメンが生まれていたのです。
今回は東京の豚骨醤油ラーメン「ホープ軒系」をご紹介します。

 

 

はじめは屋台から

昭和9年、錦糸町に「貧乏軒」という屋台がありました。
屋台を出していたのは難波二三夫氏。
難波氏は貧乏学生の格好をしてラーメンを売っていたそうです。

戦後、難波氏は阿佐ヶ谷に「成華公司」という店舗を構えました。
ここでも機転を利かせ、今度は中国人のフリをしました。
戦後で材料の入手がなかなかできないため、闇市を仕切っていた中国人と繋がるための策だったそうです。

その後、野球ブームに便乗して「ホームラン軒」と店名を変更、都内に数店舗出店しました。
しかし無理に出店したため資金難に陥り、最終的にはすべての店舗を手放すことになってしまいました。

ホープ軒の誕生

難波氏はその後、改めて屋台から再スタートします。このとき知人の勧めで「ホープ軒」という屋号にしました。
ホープ軒の誕生です。

難波氏は同時に貸し屋台事業も初めます。
屋台は増え続け100台超にもなり、都内各地にホープ軒という屋台が何店も出店しました。
日本のフランチャイズは1963年にスタートしたと言われていますが、それよりも前にフランチャイズに似た形で営業活動していたというのは面白いですね。

ホープ軒の原型

1960年、牛久保英昭氏が難波氏から屋台を借りてラーメンの販売を始めました。
最初は独自の味でラーメンを作っていましたが、お客さんからの要望を取り入れながらスープを改良しました。
豚骨と醤油の組み合わせ、背脂を振り掛けた濃厚なスープ、いまのホープ軒の原型ができあがりました。

牛久保氏は屋台初のプロパンガス、一度に24食を作れるロット生産、通常の3倍の大きさの屋台、などを導入し、味だけではなく屋台にも工夫をしました。
これにより1日に800杯ものラーメンを売り上げたそうです。
普通のラーメン店でも1日に800杯を販売するお店はなかなかありません。
それを屋台で販売してしまうなんて凄いですよね。

現在

難波氏は吉祥寺に「ホープ軒本舗」を、牛久保氏は千駄ヶ谷に「ホープ軒」を構え、現在に至ります。
両店から独立や派生したお店は都内に多数あります。
ホープ軒は東京のラーメン界にいまなお深く影響していると言っても過言ではありません。

店舗紹介

ホープ軒本舗 吉祥寺店
ホープ軒 千駄ヶ谷店

支店・系列店・独立店・派生店

ホープ軒本舗 大塚店
ホープ軒本舗 杉並店
阿佐ケ谷ホープ軒
村山ホープ軒 本店
らーめん弁慶 浅草本店
平太周 味庵(ヒラタイシュウアジアン)
韃靼ラーメン 一秀(だったんらーめん・いっしゅう)
ラーメン 久保田
ホープ軒 古川橋店
特麺コツ一丁ラーメン

 

最後に

背脂がたくさん乗った「背脂チャッチャ系」と呼ばれているラーメンは数多くあります。
しかし、ラーメンに背脂を乗せる文化は京都や新潟などにもあり、ホープ軒系とは異なります。

背脂チャッチャ系という括りでまとめず、東京発祥の豚骨醤油ラーメンとしてホープ軒系を楽しんでもらえたら、と思います。

 

 
 コラムニスト情報
しんたた
性別:男性  |   現在地:神奈川県  |  

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