アイシングの歴史から学ぶ、日本のお菓子・和スイーツ文化
こんにちは、アイシングクッキー製作「Yuratolink」の関 直子です。
お正月や成人式など、1月は様々な「和」を目にする機会が多いですね。
今回は、アイシング初期の歴史と、同時期の日本におけるお菓子の歴史をご紹介します。
砂糖の質や製法が向上し、いわゆる現代のアイシングとほぼ同じ手法のものが発達したのは、18世紀のイギリス。
別の製法でのアイシング(ケーキの砂糖衣かけ)は、16世紀頃にも作られていました。
その頃は、オーブンから出した熱いケーキにバラ水を加えた卵白を塗り、それに砂糖をふりかけてから温度の低いオーブンに戻して乾燥させるという手法でした。
砂糖の質が向上した17〜18世紀には、卵白などの材料と合わせてからケーキに塗られるようになりました。
さらに、18世紀後半には砂糖の製造が機械化され、粉砂糖あるいはアイシングシュガーと呼ばれる非常に細かい砂糖が生産されはじめました。
砂糖がここまで細かくなれば、なめらかでピカピカのアイシングにするためにわざわざ熱して溶かさなくても良くなったのです。
イギリスで、アイシングが発祥し砂糖の質が向上した16〜18世紀、日本でのお菓子はどのようなものだったのでしょうか。
室町時代の1543年、ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲 、キリスト教などが伝来しました。
そして同時にカステラ、ビスケット、ボーロ、金平糖などのお菓子が伝わります。
これらのお菓子は、原料や製法などの点で和菓子の製法に大きな変革をもたらしました。
南蛮菓子は、長崎を中心にして日本国中に広がり、日本化されて今日に伝わっています。
また、南蛮伝来は砂糖についても大きな転機となったようです。
黒糖は、奈良時代754年に唐の僧侶鑑真によってはじめて日本にもたらされましたが、長い時を経て南蛮人によって持ち込まれた白砂糖は、それまでの菓子の味を一変させ、砂糖は製菓材料として重要な役割を担うこととなりました。
またこの時期、中国から伝わった点心(おやつ・間食)は、現代の点心と同様の肉まんなども指しました。
しかし日本の禅僧は肉食をしてはならず、代わりにあずきなどを詰めたものが饅頭のはじまりと言われています。
饅頭に次いで1589年に練り羊羮が発明され、上生菓子や干菓子の打ち物(らくがんなど)が現れました。これらは「京菓子」と呼ばれて好評を博しました。
江戸時代(1615~)に入り、それまでの京文化も色濃く残っていましたが、1720~1780頃になると江戸の個性も出始め、桜餅、金つば、大福餅、おこし、せんべい等の生活に密着した菓子が作られ武士や町人に歓迎されたのです。
アイシングはイギリスで発祥し発展しましたが、その頃の日本でも、他国のものを取り入れながら日本独自のお菓子が発展していたのですね。
現代でも、シュガーペーストやショコラなどの部門で、日本人が本場のコンクールで優勝するなど、ご活躍されている方々がいらっしゃいます。
諸外国のお菓子に日本人ならではの繊細さや感性を調和させた逆輸出の結果。
これからも、日本人である事も大切にしながらアイシングを楽しんでいきたいものです。
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オリジナルのアイシングクッキーYuratolink主宰。
客室乗務員としての接客業を経験後、転職して営業職や事務職などを経て結婚。現在二児の母。
家族のペースを中心とした働き方を模索する中、子供と一緒に作ったキャラクタークッキーをきっかけにアイシングクッキーの世界に魅了される。
ほぼ独学でアイシングクッキーの技術を学び、友人に教えていたのが発展。
現在、おもに兵庫県の三田市にて体験workshopを中心に活動中。
ブログ: http://yuratolink.blogspot.jp/
facebook: https://www.facebook.com/yuratolink
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