第2弾【閲覧注意】昭和の日本で起きた本当に怖い「未解決事件」まとめ。
その”残虐さ”と”深い闇”にゾッとする…昭和の日本で起きた、恐怖の未解決事件一覧、事件概要。グロ、サイコパスなど苦手な方は閲覧注意。1日も早い事件解決を望みます。
昭和の日本で起きた、残虐で不気味な未解決事件の数々。
世の人々を震え上がらせた事件は、今もなお迷宮入り…。
犯行動機や、犯人像まで推測は様々されています。
読んだ後に、胸糞悪い気分になることは覚悟してください。
1988年(昭和63年)8月中旬、東京都江戸川区東篠崎の東京都下水道局篠崎ポンプ所で起きたバラバラ殺人事件。
篠崎ポンプ所内で、女性の遺体が発見された。その遺体は損壊しており上半身のみだった。
遺体は身元不明、犯人も不明のまま。下半身遺体も見つからなかった。
被害者の特徴を公開し、情報提供を呼び掛けるなど捜査が行われたが有力な情報はなく、いまだ未解決。
1975年(昭和50年)から1989年(昭和64年)の間にかけて、7人の女性が絞殺などの方法で殺害された事件。
1975年~1989年の約14年間の間に、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20kmの地域内で7人の女性が殺害されたこの事件は、佐賀県民はもちろんのこと国民を震え上がらせた。
被害者女性の失踪が7件中6件、水曜日であることと、被害者の死因が7件中5件絞殺であることから、「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれている。
1975年(昭和50)8月、北方町に住む中学1年生(当時)の少女が、1人で留守番をしていた自宅から失踪。1980年(昭和55)6月白石町の小学校プール近くのトイレの便槽の中から遺体で発見された。
2件目
1980年(昭和55)4月、白石町に住む20歳(当時)の女性が、1人で留守番をしていた自宅から失踪。1980年(昭和55)6月、町内の小学校の便槽の中から遺体で発見された。
失踪直後、被害者の父親宛てに「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」と書かれた手紙が届いた。
また「人捜しのテレビに出るな」という脅迫電話もあったそう。
3件目
1981年(昭和56)10月、白石町に住む近くの工場で働く27歳(当時)の女性が失踪。
同月21日に中原町の空き地で遺体で発見された。死因は電気コードによる絞殺だった。
4件目
1982年(昭和57)2月、北茂安町の小学5年生(当時)の少女が、下校途中に何者かに殺害され、翌日に遺体で発見された。死因はストッキングによる絞殺だった。
5件目
1987年(昭和62)7月、武雄市の飲食店で働く48歳(当時)女性が失踪。
1989年(昭和64)1月に北方町大峠の崖下で遺体で発見された。
6件目
1988年(昭和63)12月、北方町に住む主婦50歳(当時)が、
ミニバレーボールの練習があると出かけた後、失踪。
1989年(昭和64)1月、北方町大峠の崖下で遺体で発見された。
7件目
1989年(昭和64)1月、北方町の会社員である37歳女性(当時)が失踪。
1989年(昭和64)1月、北方町大峠の崖下で遺体で発見された。
4件目までは、捜査機関が犯人を起訴できずに公訴時効が成立。
残り3件は同時に遺体が発見されたため、まとめて「北方事件」として起訴されたが、無罪が確定し未だ7件とも未解決事件となっている。
1972年(昭和47年)6月、東京都港区新橋の第一ホテル新館で熊本県八代市の女性歯科医師が殺害されているのが発見された殺人事件。
東京都港区新橋の第一ホテル新館で、歯科医師の女性が全裸の遺体で発見された。
鑑定の結果、死亡後姦淫されていることが判明。
当時の日本では、ホテルでの殺人事件が例がなく日本を騒がせた。男女間でのトラブルが原因であるなど推測は様々されたが、いまだ迷宮入りとなっている。
事件は昭和40年7月3日午後4時ごろ。静岡県伊東市宇佐美区に住む俊之君(当時7歳)が
自宅から「遊びに行く」と言って出たまま行方不明になった。
行方不明後、数日以内に自宅近所の4カ所にかけられた不審な電話と、本人と思われる連絡もあり、
大規模な捜査が行われたが、発見には至らず。
また、いくつかの目撃情報が寄せられ、手がかりは残されましたが確定的な情報は得られませんでした。
昭和に発生した「未解決事件」は、謎が深くその時代の背景を感じるものが多くあります。
想像するだけでもおぞましく、気分の悪くなる事件の数々…。
これ以上深く調べるかどうかは、自己責任で。