華麗なるヨーロッパドレスから学ぶ、女性ファッションの歴史と推移

執筆者: 安田 紀子 職業:カラーコーディネーター・カラーセラピスト・パワーストーンセラピスト
はじめに

こんにちは。カラーコーディネーターの安田紀子です。

 

今回は、ヨーロッパのファッションの歴史です。

いわゆる「ファッション」は18世紀後半に作られたと言われています。
これには理由があり、ファッションが成立する3つの条件(社会構造の変化、経済的環境の成熟、衣生活システム)が揃ったのが、この時期だからです。

 

ファッションの成立はフランス

このファッション成立の舞台となったのは、フランスでした。
18世紀後半にポンパドゥール・ピンクの由来となった、ポンパドゥール夫人マリー・アントワネットらが、ファッションリーダーとしての役割を果たしていました。


この時代のフランス宮廷の正装は、ローブ・ア・ラ・フランセーズと言われるドレスでした。

このドレスには繊細な装飾が施されており、こういった装飾は、優美さと共に贅沢の象徴でもありました。

 

 

19世紀初めのファッション

19世紀初めには、フランス革命以前の華美なロココスタイルへの反動からか、ギリシャローマ時代のような、自然なラインのドレスが流行します。


素材はモスリン地が人気でしたが、このモスリン地は薄手だったため、ヨーロッパで着用するには寒過ぎました。

そこで流行したのがショールです。

このショールが、スコットランドのペイズリー市で量産されるようになり、ペイズリー柄の流行へとつながりました。

 

 

そして、19世紀も中頃になると、ドレスの裾が広がってきます。

クリノリンの流行です。

 

 

クリノリンは、ヴィクトリア朝イギリスで急速に広まりましたが、あまりの大きさに、日常生活にまで支障をきたすようになり、わずか数年でこの流行は終わります。

その後、ドレスの裾は狭まっていきます。

 

鹿鳴館での洋装

19世紀のファッションは目まぐるしく変わっていきます。
クリノリンの流行に陰りが見え始める後半になると、バッスルスタイルが流行します。

ウエストを絞り、後部が張り出したスタイルです。


このクリノリンスタイルとバッスルスタイルが、日本に入ってきた最初の洋装だと言われており、鹿鳴館で踊る夫人たちの衣装は、バッスルスタイルが多く見られます。

 

 

20世紀初頭のファッションの変化

19世後半から20世紀初頭まで、ファッションもアール・ヌーヴォーの影響を受けます。

ドレスのシルエットはS字型になり、豪華な素材やレース、フリルといった装飾で作られていました。

このシルエットは、女性の身体を不自然な形で歪めて作られていたため、負担は相当なものでした。

そのため、1906年にポール・ポワレコルセットを必要としないドレスを発表すると、瞬く間にS字型シルエットは消えていきました。
布地の美しさに重きを置いたポワレやマリアノ・フォルチュニィのドレスは、これまでのドレスとは違う美しさでした。

 

 

コルセットから解放された女性達は、活発になっていき、ファッションもどんどん動きやすいものへと変わっていきます。
スポーティで機能的なエレガンスを誕生させた、シャネルのジャージードレスも、コルセットの多用に疑問を感じていたことから生まれました。

 


そして、皆さんもご存じのように、シャネルはこの後も、次々と革新的なデザインの服を発表し、現代へとつながっていきます。

 

 

おわりに

今回は、いつもの「色」の話とは少し違う、ファッションの歴史についてお話しさせていただきました。


ファッションの歴史を知ることで、当時の文化や芸術にも触れることが出来ます。

ファッションと合わせて、絵画、音楽などの、当時の流行も追ってみると面白いかもしれません。

 
 コラムニスト情報
安田 紀子
現在地:神奈川県川崎市  |   職業:カラーコーディネーター・カラーセラピスト・パワーストーンセラピスト

川崎市でカラーサロン「nrk color circle」を営んでおります、安田紀子です。
4シーズンを細分化したパーソナルカラー10タイプ分類を対面診断、写真診断で行っています。カラーセラピストとしての知識も活かし、似合う色プラス効果的な色の使いかたをお伝えしています。
TEL:080-1177-9439 
〒216-0004 川崎市宮前区鷺沼1-11-14 鷺沼パレス906
HP:http://nrkcolor.com/

・日本色彩学会正会員
・色彩検定1級/後任カラーデザイナー
・東商カラーコーディネーター検定1級(第2分野)
・カラーセラピスト
・パワーストーンセラピスト

 

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