埼玉レトロスポット「島村家住宅土蔵」の見どころは?お助け蔵の歴史と文化を探る旅 (1/2)

執筆者: 薄荷脳70
はじめに

埼玉県の中央に位置する桶川市にある旧中山道は、江戸時代桶川宿の名残を感じることが出来ます。

 

現代の開発によりかつての宿場町の名残も随分消失しているのですが、ここ桶川市の桶川宿跡は、県内でも保存のよい地区です。

 

今回は、その中からかつて「お助け蔵」と呼ばれた名家「島村家」建築物を訪ね、現代に甦る「お助け蔵」と共にご紹介します。

嶋村家住宅土蔵

嶋村家は屋号を「木嶋屋総本家」と呼ばれた問屋で、材木や白縞を売買して木嶋屋を名乗りました。

その「木嶋屋」の屋号印の「○の中に木」が鬼板に刻まれています。

 

五代目の源右衛門が木嶋屋を繁栄させ、この頃から穀物問屋、及び桶川特産の紅花での取引で財を成したのです。

この嶋村家に残る遺構が「嶋村家住宅土蔵」です。

 

 

桁行六間、梁間三間の木造三階建ての非常に珍しい土蔵で、江戸時代後期の天保7(1836)年に建築され、観音開きの扉口があり、外部は黒漆喰壁保護のためにトタンを被せています。

 

 

現在、日本に残る三階建ての蔵は非常に少なく、50数例ある程度だそうです。
それは、江戸初期(1651年)に三階建築禁止令が出され、三階建ての建築が規制されたため、江戸時代の初期及び幕末~明治期以降しか建築されなかったためです。

本来、江戸末期には建てられないのですが、当時は幕府の取締が殆ど無きに等しかったからのようですです。

埼玉県内には深谷市、上福岡(明治期)、入間市(大正期)、所沢市(昭和期)のあわせて5軒だけで、この蔵は県内では最古です。

 

 

このように非常に珍しい蔵が残されていますが、その歴史を見てきたかのように、傍らには樹齢170年のギンモクセイが、芳しく咲き誇っています。

 

 

お助け蔵とはどんな建物なのか

現在、この三階建ての蔵は国登録有形文化財となっています。

 

蔵の内部には江戸時代以降の民具などが残されており、江戸時代生活用具の資料館として月1回(第1土曜日)に一般公開(有料)されています。

文化財といえども管理は島村家個人なので、なかなか小奇麗な展示ではありませんが、それ故に、当時の蔵の名残を実感できるといえます。

お助け蔵縁起があります。

 

 

縁起によれば、天保7年が全国的に凶作の年で米価が沸騰し、各地に百姓一揆が起こった年だったため、ここに三階建て蔵を立てる際と同時に、二階建ての土蔵も建てました。

そうして飢饉に苦しむ人々に仕事を与えたことから、「お助け蔵」と言い伝えられるようになったのです。

太い梁が当時の豪壮さを醸し出しています。

 

 

二層に分かれた蔵内部はこのようになっています。

 

 

この葛籠によって、多くの民具が保存状態のよいまま残されました。