都を守護する四神相応の地、京都!日本最大のパワースポット「平安京」の歴史と現在

執筆者: 田中英哉
はじめに

京都は四神相応の地(ししんそうおうのち)と言われていて、都の東西南北に四神が守り、結界を張っています。


その四神は岩や川、池や道を表わし、それぞれが京都の実際の場所に対応しています。


 

平安京の遷都

794年に都が平安京に遷都されました。「なくようぐいす平安京」という語呂合わせで覚えた人も多いのではないでしょうか?


平安京に都が遷った平安時代。しかし、前の奈良時代の都である平城京から平安京に都が遷った訳では有りません。

 


平安遷都の10年前、784年に一旦京都市の南西にある長岡に遷都し、長岡京が造営されました。

しかし、藤原種継の暗殺事件に関与したという事で、桓武天皇の弟である早良親王が、乙訓寺に幽閉され、無罪を主張してハンガーストライキを起こしました。

その後そのまま亡くなってしまった早良親王に死後流刑という凄まじい対処をしたことで、その後に起こった都での不幸が、早良親王の祟りであるという噂が広がりました。
不吉とされた長岡京を早々と捨て、平安京への遷都が行われた訳です。

 

 

その際、桓武天皇が発した詔は「此の国、山河襟帯にして、自然に城を作す」との事で、自然景観が美しく、三方を山に囲まれ、大きな川が有って、山河が砦の様になってくれる地として選ばれました。
まさに、山紫水明の地であった訳です。

 

四神とは

そんな山紫水明の地は、中国の四神相応の地の思想にも当てはまっておりました。


四神相応の地とは、地相をあらわした考え方で、東西南北に神が存在すると、その都は繁栄するという考え方です。
その考え方によると、北は玄武(げんぶ)、東は青竜(せいりゅう)、南は朱雀(すざく)、西は白虎(びゃっこ)という神々が守っているんだそうです。

 

 

北の玄武は大きな岩をあらわしていまして、京都では船岡山がそれに該当します。
東の青竜は大きな川をあらわしていまして、京都では鴨川がそれに該当します。

 

 

南の朱雀は大きな池をあらわしていまして、京都では巨椋池(おぐらいけ)がそれに該当します。

しかし、現在は干拓されており、巨椋池は地名だけが残っています。
西の白虎は大きな道をあらわしていまして、京都では山陰道がそれに該当します。

この様に、京都は四神が平安京を守護していて、とても良い地相なんだそうです。

  

おわりに

このように、平安京は山紫水明の地として天然の要害にもなっており、地相的にも四神相応の地として良い地相なのだそうです。


それが、1000年以上も都であった要因なのかも知れませんね。

 

 
 コラムニスト情報
田中英哉
性別:男性  |  

田中英哉(たなかひでや)37歳

京都生まれ京都育ち。24歳まで京都で暮らしたが、3年間
名古屋で勤め、京都を離れて初めて京都の魅力に気付く。
Uターン後、京都観光に関する仕事で地域貢献をしようと
「ことぶら」を立上げ。「京都の魅力発信、感動を共有、感
謝される仕事で社会貢献」を理念としてビジネス展開中。
第7回、京都文化ベンチャーコンペティションにて、エフエム京都賞・京都銀行賞を受賞。

ことぶら公式サイト
http://www.lifecrew.jp/kotobura/

【資格】
国内旅行業務取扱管理者(国)
2級ファイナンシャルプランニング技能士(国)
3級知的財産管理技能士(国)
環境社会検定(eco検定)(公)
京都検定2級(民)
旅行地理検定3級(民)
メンタルケアカウンセラー(民)