【昭和オモシロ雑学】昭和の面白い職業・仕事内容まとめ!電話交換手にエレベーターガール、お茶くみまで
昭和時代の初期から後期にかけて存在していた、面白い仕事・職業一覧。金魚売りから昭和のサラリーマンあるあるまでピックアップ!
子供のころ、何になりたかったか覚えていますか?
ランドセル素材を扱う株式会社クラレの調査によると、小学校入学の子供が将来就きたい職業の1位は、18年連続で男の子は「スポーツ選手」、女の子は「ケーキ屋さん・パン屋さん」とのこと。
「ユーチューバー」やら「キュレーター」やら、新しい職業がいまだ生まれる世の中ではありますが、一方では消えてしまった職業も多くあります。
今回は昭和にタイムスリップし、今は亡き懐かしの職業をピックアップしてご紹介いたします。
今では想像もつかないような仕事内容や、オモシロ職業が数多く存在していました。
サンドイッチを売り歩く人ではなく、「広告看板を体の表と裏に括りつけ、街中を歩く」人のこと。
広告に体が挟まれた状態がサンドイッチのようだからと名付けられたようです。
なんと明治大正時代から始まり、戦後まもなくの昭和あたりに全盛期を迎えました。
今はデジタルサイレージやらサイト広告やら、街中に広告が溢れかえっていますが、広告費もバカになりません。
人件費のみで都心部の繁華街を歩かせ、目立つことで宣伝効果を得られるというある意味経済的な広告手法だったのかも?
電話が登場した頃は、電話相手に直接繋がるのではなく、一旦「電話交換手」という中間に繋がっていました。
内線電話や国際コレクトコールをイメージすると分かりやすいでしょうか。
受話器を上げれば電話交換手に繋がり、通話をしたい相手の番号を伝えることで、電話交換手が手動でその相手へ電話を繋げてくれます。
昭和54年に全自動化され、現在のように直接相手へ電話を掛けられるようになりました。
ちなみに「もしもし」は、当時における電話の呼びかけ「申し上げます、申し上げます」が略された言葉と言われています。
昭和は様々なモノを売り歩く職業がありました。
その中でも代表的なものをいくつか紹介します。
金魚を売り歩く職業のこと。
さお竹屋、廃品回収車などを知っている人は大体想像もつくかと思います。
昭和初期まで存在していた金魚売り、たらいを前後にかついで民家や街中を歩くこの商売は、現在、夏の季語としても親しまれています。
ちなみにひよこ売りなども来ていたそうですよ。
なんとロバまたは馬を連れた移動パン屋。
自動車は高級だった昭和初期、最初に始めたのは北海道シェア2位の製パン会社ロバパン(旧石上商店)でした。
その後、株式会社ビタミンパン連鎖店本部が「パン売りのロバさん」という歌を奏でながら街中を練り歩いたことから大繁盛し、ビタミンパンは全国チェーン店にまで発展します。
ちなみに売られていたパンは蒸しパンとのこと。
ちびまる子ちゃんで見かけたので知っている人もいるのでは。
自転車で公園や小学校、神社などにふらりとやってきては紙芝居を披露し、お菓子を配るおじさん。
現代社会だと残念ながら不審者のような目で見られそうですが、昔は子供たちの社交場としても大人気でした。
ソースせんべい、水あめ、あんず飴…駄菓子って今は、ショッピングモールなどで売っていますよね。
アイスキャンディーを売り歩く人。
夏は溶けるし冬は売れないし、兼業だったのでしょう。
夏の風物詩、風鈴を売り歩く人。
今もイベント時、銀座など見かけることもあるようです。
今のようにビニール傘や安価な傘がなく、昭和中期まで傘は高級品でした。
そのため、傘は一家で大切に扱われ、壊れたら専用の職人が修理をしていました。
その頃は、骨や布も上質で丈夫なものが使用され、しっかりとした造りのものでしたので、修理をして使い続ける感覚が普通だったようです。
上質なものを長く使い回す…エコロジーですね。
今だ一部百貨店や書店、展望施設にいるエレベーターガール。
1929年、東京上野の松坂屋が始めたとされるこの職業ですが、今は既にリビングレジェンドとも言える職業名でもあります。
エレベーターが自動ではなかった昭和時代、「昇降機ガール」と呼ばれ、エレベーターを手動で操作する人員として配置されていました。
デパートガールや電話交換手と共に、女性の憧れの職業として大変な人気でした。
昭和のサラリーマン・OLは、「書類だけを探す人」「表グラフだけを(手作業で)作成する人」など、パソコンがないため作業は細分化され、それぞれに担当者がいたことも。
まさにプレゼン資料一つ作るのにも、チームワークが必要だったのですね。
まだまだ紹介しきれない昭和のオドロキ職業はたくさんあります。
今の平成の職業も、未来になって見ると驚きの連続かもしれません。
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