落語「目黒のさんま」ゆかりの茶屋坂を歩いてみよう!東京都内お散歩コース (1/2)
落語でお馴染みの「目黒のさんま」をご存知の方は多いでしょう。
昨今、秋にあると「サンマ祭り」と称して各地で秋刀魚を食べるイベントが開かれています。
目黒区でもご他聞に漏れず、毎年「目黒のSUNまつり」と称してイベントが開催されています。
今回は、この落語「目黒のさんま」の地を歩いてみます。
先ずは落語「目黒のさんま」をご紹介しておきましょう。
この噺は三代目三遊亭金馬が得意としている演目です。
“ある初秋の日、殿様が家来を連れて目黒不動参詣を兼ねて遠乗りに出かけました。
その当時の目黒は江戸の郊外で、到着したのは昼近かったのです。
すると近所の農家から秋刀魚を焼くいい匂いが漂ってきます。
家来はたまらず「腹ペコのときは、秋刀魚で一膳茶漬けを食べたい」といったところ、これを聞いた殿様が、「自分も是非、秋刀魚を食べたい」といったものなので、家来達は大騒ぎになったのです。
というのも、当時の秋刀魚は低級な魚として、とても殿様が口にするようなものではないと言われていたからです。
家来は諭したのですが、食べたいとの一点張りの殿様の言いつけでは仕方ないとばかりに、農家のおじいさんに頼み、焼いた秋刀魚を譲ってもらうことにしたのです。
低級とはいえ決して不味いわけでもなく、更にお腹がすいていたことから、殿様はすっかり気に入ってしまったのです。
屋敷に帰ってからも、秋刀魚が食べられることを心待ちにしていたのですが、一向に秋刀魚のような下魚は出てくる気配すらありません。
そうしたある日、殿様が親戚に出かけると「何か好みの料理は」と家老に聞かれ、すかさず秋刀魚を所望したのです。
驚いた家老は、日本橋の河岸から最上級の秋刀魚を取り寄せ、充分に蒸して脂を落とし、小骨を丁寧に取って出し殻のような秋刀魚をだしたのです。
脂の抜けた真っ白い秋刀魚が美味いわけがありません。
「秋刀魚はもっと黒く焦げていたはずだが、一体、どこから取り寄せた秋刀魚か」と尋ね、家老は「日本橋の河岸にございます」と答えると、殿様が一言いったのです。
「あっ、それはいかん! 秋刀魚は目黒にかぎる」
(参考:『古典落語(上)』興津要編 講談社文庫より)”
以上が、「目黒のさんま」の要約です。
ここからは、「目黒のさんま」の地の各名所を紹介します。
先ず目印は「目黒清掃工場」で、この工場沿いを進んだ先の路地を右折すると、道路が二又に分かれていて、その間にポケットパークがあります。
ここが「目黒区立 茶屋坂街かど公園」という小さな公園です。
“茶屋坂の清水”と刻まれた石碑の説明によると、この公園の先に「目黒のさんま」の噺のもとになったといわれる「爺々ヶ茶屋」があったそうで、その「爺々ヶ茶屋」は、江戸時代歴代の将軍、3代家光、8代吉宗などが鷹狩の際に、富士の絶景を見ながら、ここに湧き出る清水の茶で喉を潤した茶屋なのだそうです。
この清水は昭和の宅地開発で枯渇し、この碑だけが当時を物語っているのです。
「目黒のさんま」の舞台だけあって、公園の石柱にはタイル絵がはめ込まれています。
「目黒のさんま之図」と「将軍家鷹狩之図」で、まさに将軍家とのゆかりを感じさせる公園なのです。
早速、この路地を進み「爺々ヶ茶屋」跡なる地に向ってみます。
少し進むと登り坂となります。
坂の途中に「茶屋坂」と書かれた標柱が立っています。
そして更に坂を上った角に「茶屋坂と爺々ヶ茶屋」の案内板があります。
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