大正ハイカラ女学生から学ぶ、レトロ&モダンなファッション -服装・髪型・メイク-
こんにちは。カラーコーディネーターの安田紀子です。
今回は日本の大正レトロファッションとカラーについてのお話です。
現代でも大学の卒業式などで着る人の多い袴スタイルですが、この行燈袴(あんどんばかま)の始まりは、華族女学校(現在の学習院)の制服だったと言われています。
行燈袴は、腰板がなく股が割れていない袴で、スカートのようになっています。
女性はお手洗いの問題もありますし、このほうが便利だったのでしょう。
この袴の色は、明治時代の初期には女学生は紫色、後期になると海老茶色が主流となります。
華族女学校の制服も海老茶色でした。
この袴に使われた海老茶色は、もとは葡萄色でした。
これは「ぶどういろ」ではなく「えびいろ」と読みます。
葡萄色は紫みがかった暗い赤です。この葡萄色とは別に海老の甲羅の色をさす海老色がありましたが、「えび」と「えび」であるうえ、色も似ていたためそのうちに混同されるようになりました。
この海老色に少し茶色を加えたような色が海老茶色です。
矢絣の着物に海老茶色の袴、髪型は下げ髪にリボン、足元は編み上げブーツという「はいからさんが通る」でおなじみになった女学生のスタイルですが、大正時代に女学生にもっとも履かれていた履物は、実はブーツではありません。
黒ハイソックスに黒の短靴という組み合わせが主流でした。
これは、家に入るときには靴を脱ぐという日本の習慣上、ブーツでは不便だったからだと思われます。
女学生のこういった袴スタイルも、大正時代後期になるとセーラー服へと変わっていきます。
では、制服以外の女性のファッションはどのようなものだったのでしょうか。
明治時代には女学生のようなお嬢様階級の女性にも和装が多く、洋装イコールドレスでしたが、大正時代になると庶民の間でも洋装が広まります。
とはいえ、まだまだ和装が多かった時代でしたから、西洋文化の影響を受けオシャレに気を配った若者たちは目立ちました。
関東大震災後の大正後期に現れた「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」たちです。
モダン・ガール(モガ)の服装で多く見られたのは、少し長めのスカート丈にクロッシェという帽子を被ったスタイルでした。
クロッシェは1920年にフランスの帽子デザイナーが考案し、大流行しました。
クラウン(頭が入る部分)が深く、ブリム(つば)が小さい帽子です。現在でも見かけますよね。
帽子以外のアクセサリーでは、パールのロングネックレスやドレスグローブなど、アール・デコ様式のものが好まれたようです。
Wikipedia引用
ヘアスタイルは、ショートボブとフィンガーウェーブが多く見られました。
熱したコテで前髪にウェーブをつけ、後ろ髪を束ねたフィンガーウェーブは「耳隠し」とも呼ばれ、大正後期から昭和にかけての代表的な洋風の髪型でした。
メイクもされていました。アイシャドーが登場したのも大正時代です。
目の周りを彩ることに抵抗があった女性は多かったようですが、モダン・ガールは洋装に合うこの化粧法を取り入れていました。
アイシャドーと共に、赤いルージュとほんのりチークを使うモダン・ガールが多かったようです。
このようなモダン・ガールのスタイルは、実は同時代の欧米で流行していたフラッパーの影響を大きく受けています。
フラッパーのような「新しい時代の女性」のファッションから影響を受けながらも、日本女性らしい奥ゆかしさと上品さを残したモダン・ガールのファッション。
この絶妙なバランスが、現代でも多くの人を惹きつけている理由なのかもしれません。
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川崎市でカラーサロン「nrk color circle」を営んでおります、安田紀子です。
4シーズンを細分化したパーソナルカラー10タイプ分類を対面診断、写真診断で行っています。カラーセラピストとしての知識も活かし、似合う色プラス効果的な色の使いかたをお伝えしています。
TEL:080-1177-9439
〒216-0004 川崎市宮前区鷺沼1-11-14 鷺沼パレス906
HP:http://nrkcolor.com/
・日本色彩学会正会員
・色彩検定1級/後任カラーデザイナー
・東商カラーコーディネーター検定1級(第2分野)
・カラーセラピスト
・パワーストーンセラピスト
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