料理や味付けなどを受け継ぐ秘伝の技!「遊山の会」から学ぶ食の伝統とは (1/2)

執筆者: 岩佐 優 職業:昆布料理研究家
はじめに

こんにちは、昆布料理研究家の岩佐優です。

 

テレビの「今日の料理」や「三分間クッキング」といった料理番組、流行りのレシピ本なんてない時代のお話。
いかにして徳島の「美味い」は今に伝わり、広がってきたのでしょうか。

 

四国、徳島ならではの昔の「料理教室」をご紹介しましょう。

 

 

「料理人ばっちゃん」の存在

徳島の漁村では、今のようなスーパーなどはありませんでした。
ましてや、そんなところに料理屋さん、仕出し屋さんもあるはずがありません。

 

しかし、そこそこの「お屋敷」では、冠婚葬祭に料理人さんが必要だったのでしょう。
そこで呼ばれたのが、その辺りでは一目置かれる料理名人のおばさんこと「料理人ばっちゃん」でした。

「ばっちゃん」というのは、親しみと敬意の気持ちを込めた言葉で、お母さんと奥さんの中間ぐらいの意味合いです。

普段は浜辺で仕事をしている漁師のおばさんが、割烹着一つ風呂敷に入れて「お屋敷」に向かう、必殺料理人になるのです。
勝手口から入って、板の間で奥様に挨拶して、料理に取り掛かかります。

昔の冠婚葬祭料理

その頃のお膳は、今の宴会用の物からすると、かなり小さい物でした。
しかし、小さいながらも刺身皿や煮物、焼き魚の皿もあります。

吸い物は一番と二番の2つを作っていました。

そして、ういろ(ようかんのような蒸菓子)や、寒天を使った赤や緑の水ようかん風の甘い物があります。
いわゆる、皿鉢料理を小さい器に取り分けたような物です。

例えば、ぼた餅やきなこ餅だったり、あんこでさつま芋のきんとんを巻いた、出世芋を作ったりもします。

 

料理人独自の味付けが秘伝になっていた

「盆と正月が一緒に来たような」晴れの日に相応しい皿数を整えなければならなかったのです。

さらに、食材はもとより、砂糖、醤油などの調味料が自由に使えない時代でも、集まった客人を満足させるよう、いかにまろやかな優しい味わいにまとめるかが腕の見せ所でした。

 

「料理人ばっちゃん」は、その人独自の味付けに秘伝を持っていたのです。

 

ばっちゃんからお手伝いのお母さんへ

「お屋敷」の冠婚葬祭となると、分家筋や村界隈のお母さん達がお手伝いに召集されました。

そのお手伝いのお母さん達が「ばっちゃん」の包丁裁きを「見る」。
その所作をじっと「見る」。

『茶わん蒸しが出来ました』『煮付けが出来ました』『一番の吸い物が出来ました』と、ばっちゃんがその度に『あんばいどないや?(お味はいかがですか?)』と言って、その家の奥様にお伺いを立てて、味見をして貰ったそうです。
実はその味見をした奥様が、今度は分家筋、そして近くの家の冠婚葬祭を仕切り「料理人ばっちゃん」のように味付けをすることが多かったらしいです。

「あの時ばっちゃんは糀で作った甘酒入れた」「さっと茹でて、すぐ火からおろした」「酒粕に漬けていた魚を焼いた」という秘伝が、見よう見真似で伝わっていきました。

 

 

現代の秘伝が伝わる場

そして現代。
秘伝が伝わる場は、公民館の井戸端会議へ移りました。

天気の話、孫の自慢話、姑や嫁の悪口まで、実はこの公民館の井戸端会議は「プチ秘伝交換会」に変わるのです。
お茶うけに持ち寄った漬物や料理を前に「この茄子漬け美味しい!」「これどないして(どうやって)漬けたん?」「いたずり(虎杖)はどないしたら色良くとっておけんの?」といった具合ですね。

 

徳島の人は間違いなく食いしん坊です。
「料理人ばっちゃん」の時代から、そして今でも徳島の「美味い」は、口伝えでそれぞれの食卓に広がり、受け継がれていきます。

 

今も残る徳島の「遊山の会」とは

そんな伝承された料理は、こんなところにも活かされています。

徳島では桃の節句の頃、恒例行事「遊山遊び」があります。
遊山箱(ゆさんばこ)は、三段重ねの重箱です。

 

 

子供達が野山歩きに出かける時、巻き寿司ずしや煮物、ういろうなどを入れる弁当箱として持って行く風習がありました。

 

 
 コラムニスト情報
岩佐 優
性別:男性  |   職業:昆布料理研究家

昆布料理研究家 岩佐優が目指すのは、
毎日の食卓に昆布料理物語を!
料理家が提案する昆布ライフ!
できるだけ始末して、料理して、
おいしくご飯を食べたいと願う全国の方々に
昆布料理の本物の料理、始末した昆布料理の真髄を提供することです。

安心して召し上がれる食材を選び、旬のものをこの今に味わい、
春夏秋冬ならではの料理を私が作っています。
昆布料理  うさぎや
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